治療中に家族の支えで得たもの
入院中は、両親のどちらかが毎日病室にいてくれました。
兄も仕事帰りに顔を出してくれたり、兄嫁と甥っ子もお見舞いに来てくれました。甥っ子は、自宅では毎日お線香をあげてくれてたそうです。
私は、優しい家族に支えられていました。
「病気になってごめんね。」という思いもあり、心配かけてしまっていることに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ですが、私が病気になったことをキッカケに、家族が一丸となっている事に気付きました。
兄家族とは特に普段から連絡を取っていたわけでもないのですが、病室で家族が顔を合わせて、他愛もない会話をしている事が、今までと違う家族とのを過ごす時間になっていました。
がん宣告を受けた時の家族の様子
私には、両親と兄家族がいます。
会社の健康診断で要精密検査との結果が出たので、
両親には病院で検査してくると軽く伝えました。
両親も、まさか娘がその時すでに進行した癌であったとは思いもよらなかったでしょう。
検査を繰り返す内に、担当医から「次回はご両親も一緒に」と言われました。
それ以来、母は私が病院へ行くときには毎回付き添ってくれます。
父は、担当医から癌の宣告を受けて標準治療の子宮全摘の話を聞いた時に、涙を流していました。自分も前立腺がんを患っていますが、自分の事より娘の癌宣告の方がショックだったと言います。
兄は、両親から話を聞いてすぐに私に電話をしてきました。「大丈夫なのか。セカンドオピニオンしたのか。」と、医師からの説明を聞いていませんから、一番混乱していました。
家族の中で母が一番冷静だったと思っていましたが、
手術が終わって麻酔が残って意識が朦朧としているまま病室に戻った時、貧血で倒れてしまいました。
側でいつも気丈に振る舞っていた母は、手術が無事に終わったことで、張り詰めていたものが切れたのだと思います。
左脚のリンパ浮腫予防☆減量
リンパ浮腫の原因は、手術でリンパ節郭清をしたことにあります。
そのためにリンパの流れが滞るわけですから、
リンパ浮腫になるという事は理解できます。
リンパの流れが滞る要因に、体重の増加も関係しているのではないかと思いました。
術後から抗がん剤治療後、自身の体重が10Kg増量しました。
がんを患って恐れる自分の姿は、痩せてしまうこと。だから、私は食べれる時に食べようと頑張って食べていました。
ここは無駄に頑張り過ぎていたのかもしれませんが、治療が終われば痩せると思っていたのに、経過観察に入って1年経っても一向に体重が減りません。
気づけば10Kg増えていたのです。
明らかに全身浮腫んだように太くなりました。
洋服のサイズもMサイズからLサイズを選ぶようになりました。
左脚のリンパ浮腫の浮腫みも気にしながら、右足も以前に比べてたくましくなっていました。
脂肪によってリンパの流れも滞るのではないか、、
病気のせいで太ったのではないことに気づき始めました。
そこから、日々の運動を生活に取り込むようにしました。といってもランニングをするといった有酸素運動で汗をたくさんかくのではなく、一日15分ほどの簡単な体操です。
食事もカロリーを意識して摂るようにしました。
今、体重がマイナス6Kgです。
病気の前の体重まで、あと4Kgとなりました。
左脚のリンパ浮腫は、座りグセと減量を意識をするようになってから、劇的な変化を感じています。
【リンパ浮腫発症時と現在の左足】
抗がん剤治療中の過ごし方(休日編)
3週間おきに6サイクルの抗がん剤(シスプラチン・パクリタキセル)を投与しました。
投与するために平日は入院していて、月曜〜土曜日午前中までを病室で過ごし、退院後の土曜日から日曜日にかけて怠さのピークを迎えています。
次回のクールが始まるまでの平日2週間は会社に出勤してフルで働いていました。デスクワークという職業柄、体力を使うこともなかったので、自宅で休養しているよりも少しでも動いていたかったためです。
平日は仕事ですが、土日祝日はお休みでしたので、今回は休日の過ごし方についてお話ししたいと思います。
休日は美味しいものを食べることを何よりも優先にしていました。また、次のクールを受ける前に必ず一回は整体へ通いました。
・美味しいものを食べる
ちょうど夏の時期でしたので、旬の野菜と果物を食べるように心がけました。また、栄養素の高い鰻、サーモン、納豆等、好物なものを口にしていました。そして、CHAGAというお茶も飲みました。コールドプレスジュースのお店で売っていたCHAGAで、「飲めば体に奇跡が起こる」のキャッチフレーズに、飲まないわけにはいきませんでした。
・整体
がんの宣告を受ける前からお世話になっていた整体の先生の所に、抗がん剤を受ける前に必ず1回は施術に通いました。体の不思議な話しを聞いたり、あまりの心地よさに眠ってしまったり、目に見えない何かの力を感じてしまいそうになりました。がんの宣告を受けてから今のいまが全て奇跡続きだと思っていたからです。
この期間の副作用はゼロだったとは言わないですが、思っていたよりも意外と普通に過ごしていました。
抗がん剤治療中の過ごし方(副作用編)
3週間おきに6サイクルの抗がん剤(シスプラチン・パクリタキセル)を投与しました。
今回は副作用との向き合い方について、お話ししたいと思います。
副作用で辛かったのは、退院後の怠さ、脱毛、クールを重ねるごとに感じる指先足先の痺れです。また、排卵機能が止まっているためにホットフラッシュもそれはそれは不快なものでした。
・退院後の怠さ
投与して5〜6日目にかけて、毎回怠さのピークを迎えます。起きている事が辛く、精神的にも一番落ち込む時でした。でも、この時にこそ思うのは、「この辛さは明日にはなくなっている」と自分に言い聞かせることです。
・脱毛
パクリタキセルの副作用のため、2クール目中から髪が抜け始めました。外出時は医療用ウィッグ、眉毛は眉ティントを使用しました。室内で過ごす時は、海外ドラマでよく見かける柄のあるキャップやターバンを巻いていました。ケア帽子と呼ばれるものは、デザインがシンプルなものが多いですが、海外から輸入しているものは素敵なものが多くありました。
・指先足先の痺れ
抗がん剤のクールを重ねるごとに、痺れを感じるようになりました。ビリビリと感じる程度にしか思っていなかったところ、指先に力も入っていなかったようでモノを落とす事が多かったです。副作用として痺れがずっと残る方がいると聞いていましたが、整体の先生から「痺れは毒素が指先や足先から抜けているからなんだよ」と教えてもらい、気が楽になりました。「嫌な人に向かって痺れる指先を向けてみたら?」と整体の先生は和ませてくれました。和ませてくれてたのか、本当にそうなのか、どうなんでしょうね。抗がん剤治療を終えて、痺れはなくなりました。
・ホットフラッシュ
抗がん剤の副作用ではありませんが、排卵機能を止めていたために、更年期障害にもあるホットフラッシュを経験しました。突然的に顔だけが暑くなります。寝ている時にも起きるので、常に顔に向けてサーキュレーターの風を当てていました。また、アイスノン枕も必需品です。こればかりは、仕方ないですね。原因も分かっていますから、生理が来るまでの我慢として耐えるしかありませんでした。
抗がん剤治療中の過ごし方(仕事編)
3週間おきに6サイクルの抗がん剤(シスプラチン・パクリタキセル)を投与しました。
投与するために平日は入院していて、月曜〜土曜日午前中までを病室で過ごし、退院後の土曜日から日曜日にかけて怠さのピークを迎えています。
その後の過ごし方ですが。
次回のクールが始まるまでの平日2週間は会社に出勤してフルで働いていました。デスクワークという職業柄、体力を使うこともなかったので、自宅で休養しているよりも少しでも動いていたかったためです。
上司や部署のメンバー、関連部署の方々も私の体調を気にかけてくださり、治療中の私を温かく迎えてくれる事がただただ申し訳なく、そして感謝の気持ちでいっぱいでした。
投与して2週間目の土曜日は、次回のクールを受けれるか血液検査と診察のため通院しました。
患者によっては血液検査の結果の数値が芳しくない場合には、回復するまで投与のスケジュールを調整すると聞いていましたが、私の場合は6クールスケジュール通りに終えることができました。
抗がん剤(シスプラチン・パクリタキセル)
3週間おきに6サイクルの抗がん剤治療(シスプラチン・パクリタキセル)を受けました。その他に排卵機能を止めるための注射も打っています。
私の場合、病室が空いていたこともあり、全てのクールは平日5日間を入院して過ごすことできました。
月曜に入院、火曜日に抗がん剤投与、水曜日から土曜日の午前中までは病室でゆっくり過ごしていました。
抗がん剤投与後の体調は、退院した土曜日から日曜日にかけて怠さはピークを迎えます。抗がん剤投与の前に吐き気どめを服用した効果なのか、恐れていたような苦しさはありませんでした。
副作用で辛かったのは、退院後の怠さ、脱毛、クールを重ねるごとに感じる指先足先の痺れです。また、排卵機能が止まっているためにホットフラッシュもそれはそれは不快なものでした。